血の滲むような努力は好きじゃないです!(って何のことやら・・)
ちょっと努力について考えたりしてるこのごろ
努力って何なんでしょうね?
「努力が足りない」「血のにじむような努力をしてここまできた」というような話を聞くことが割とあるけれど、あくまでもその言葉を発している人の価値観の押し付けのような気もします(わたしも含めて)
何か教えたがるおじさん・おばさん達
50歳を超えると、会社などの働く現場では自分より年下の若い人の動きが気になるようです。それはそうですよね、いくら定年がのびて長寿社会となったとはいえ、会社やビジネスの現場では40代までの若手が中心になります。
50代以降は(個人事業主などは別ですが)、若手に伝えながら自分のスキルアップや今後の立ち位置を考えつつ働くというのが当たり前なのかもしれない。
だから「若い人に伝える」っていうのも、年配者の特権でもあるような気がします。年齢を重ねれば、その分経験や失敗から学んだスキルもあるのだと考えるのが普通な気がするので(違うかな?)
「こんなにすごいんだぞ」という言い聞かせはただの自慢話ですけど
だから、いつでも何か教えたがるおじさん・おばさん達は、どっちかというと自慢話が多いんでしょう。「自分はこんなに実績をあげた」とか「周からも〇〇と言われてきた」とか、そんな感じでしょうか?うざっ
そうはいっても、わたしも個人ではたらく身分ですし、歳も年々とっていくわけで。おじさん・おばさんの仲間入りになるのです。
別のウザさはあっても、過去の栄光を自慢するだけで歳を取るのは絶対に嫌だなって思います。どんな時でもいま現在、誰かの役に立ちたいと思うので。
他人との違いは誰でもすぐ見つけられる
話を戻して「血のにじむ努力」について、最近、感じることがあります。
人との違いを見つけることは簡単で、他人の短所や悪いクセなんかは誰でも簡単に指摘できる。だってそうでしょ?
あの人は仕事はできるけど遅刻が多いから社会人としてどうかと思うよね!
〇〇さんは上司として、もっと部下に厳しくハッキリ言うべきだよね
あの人の作業が進まないから、こっちは何にもできないんだよね
毎日のように耳にする会話です。
つまり毎日誰かが口にするような当たり前の会話は、誰でもできる分かりやすいことなんです。
この分かりやすさは、実際、おじさんの自慢話と大差ないのかも。
人との違いや他人の悪いクセを指摘する毎日を続けるほど、歳をとって若い人にウザがられるおじさん・おばさんになりますね、きっと
皮膚の常在菌(ひよりみ菌)って人間関係と似てる
血のにじむような努力をお前はしたことあるのか?
と昭和の時代を生き抜いてきた立派な年配者たちは鼻息荒く話すのでしょうが、努力をするとき血がにじむ必要があるのでしょうか?
っていうか、血がにじんでたとして何が美談なのか?
そもそも「血がにじむような努力」って自分が辛かった(と思われる)経験っていう個人の価値観がモノを言わせてる。
つまり、周りと同じように他人の悪いところや違いを連ねて、本人ではなく陰で言っているだけでは、自慢話をするウザい年配者になるっていう同じ穴の狢です。
努力の価値は自分が知っていれば十分
20代のお客さんからお肌の相談をされるとき、日々の悩みごとも聞くことがあります。肌トラブルを抱えて悩む人は大抵、ストレス(生活環境の変化や仕事)がきっかけだったり、季節の変化だったりします。
自分で調べても、医師が勧める化粧品や敏感肌用やオーガニック化粧品を使っても良くならない、という経験をしている人が多いんです。
そういう若い人の話を聞いてみるとわたしにはその悩みが「ちっぽけで些細なこと」と思うことはしません。
例えそれが、わたしから見たらすぐに解決できるようなことでも、目の前の人にとっては深刻な悩みだったりするから。
これはわたし自身の経験から言えることなのですが、自分自身では努力していると思っていないことでも、周りの人から見ると「努力家」と思われることがある。
たまたまわたしは、アトピー重症経験と元々持っているオタク(主に健康)気質、プラスしてズボラで大ざっぱな生活を送りたいという性質を持っているので、それであれこれ情報収集しているうちに色々やりたくなって、行動した結果が「努力家」と周りから評価されることがある感じ
全部、調べたり情報交換して教えてもらったりしてから、自分がその時点で良いと思ったことをやっているだけなんですよね。
だから、血のにじむような努力(←しつこい)なんてしていない。
強いていうなら、アトピー性皮膚炎という皮膚疾患で皮膚がボロボロでドロドロになり、実際に血がにじんでいたっていうくらいかな。。
ツラいのを我慢してずっといるから押し付ける
自分が今いる場所(職場や環境)が、自分に合わないと思いながら働いている人はいっぱいいると思います。それでも収入のため家族のために頑張らないといけない。どんなに同僚がサボり魔でも、若手がはたらく気がなくて給料ドロボーだと思っても。
そんなツラい思いをしながら働かなくてはいけない状況がある
そんな風に我慢して頑張っている人の気持ちは、いまのわたしには分かりません。
ツラいのを我慢してずっといる
だから「自分はツラくて自分以外の人は大変じゃないから、自分と同じくらいツラい思いをしてないでしょ?」 ってそういうことでしょうか?
これは間違いなく、引退したら過去の栄光自慢をするよね。押し付けるタイプ
我慢って現代の日本でもそんなに美徳なのかしら?