恋人たちのクリスマスは若いうちに ー「我慢は美徳」に逆らい続ける

毎日モコモココートを引っ張り出してバイト先に出勤してます。ストレスや睡眠不足はお肌の大敵と言いますが、この空気の乾燥も肌にピシピシ刺さるように敵になりますねーー

世の中はクリスマスシーズン真っただ中ですが、今年はコロナの影響か、ショッピングモールも控えめな飾り付けな気がします。
恋人たちはこのクリスマスは何をするんでしょうね?

恋人たちのクリスマスの理由

占い師に「生まれた星がもともと、男性と縁がない運勢になっている」と言われたことが7−8年前にあります。
フリーで仕事をするようになって(フリーと言ってもバイトが中心ですが)、自分の仕事や暮らしの運気なんかを調べに「年に一度は行ってみるか」という気分の程度に行ってみた占いで言われたことがドンピシャだったのにビックリした覚えがあります。

なぜこんなことを書いているのか?
というと、わたし個人のこんな何でもない経験が、実は世間一般の人の暇つぶしのネタになることを知っているからです。暇つぶしに読んでもらいたいの

大学生4年生のとき、初めて好きな人ができました
それまでも「好きな人」はいたかも知れないけど、ちゃんと話して関わってお付き合いをした人はいなかったので。20歳をむかえた後、遅い春がきた感じなのでしょうか?

クリスマスをその人と過ごしたり、映画観に行ったり。
まあつまり普通のことしかしてないし、その相手には、その後フラれるんですけど。

冷たい空気がほっぺたに突き刺さる寒い中、街中を歩くと隣には好きな人の顔があり、いつでも触っても良い相手の手をとり歩く、ドキドキする気持ち

両思いでなくなるとき、自分がどんなに頑張ってもムダで、どんなに辛くても激しく感情がゆれ動いてもどうにもならない、できればずっと眠っていたい。眠っているときだけは悲しい気持ちを感じずにすむという経験

22〜23歳のときに初めてそんな経験をしました

いま考えると「恋人と過ごすクリスマス」は、クリスマスが楽しいんじゃなく、あの空気の中で一緒に過ごしたことが楽しかったのだなあ。。と

去年のクリスマスはバイト先にハーブを持って行きました
お客さんへのプレゼント 今年はハーブがないからできないかな・・

恋愛関係と共通するもの

その後もいくつか恋愛みたいなものを経験し今に至ります。
「異性とは縁遠い」言われたわたしですけど、その時その時の相手とは割と精一杯ひたむきに向き合ってきたと思う。

恋愛関係というのは不思議で、毎日の生活の中で家族や友人関係とは求めるものが全く違いますね
相手に求めるものが多くなり、自分を優先して欲しいと思う
わたしの感じることを共有して、一緒に笑ったり怒ったりして欲しい
どうしても許せないクセがあって気になってイライラする

そんな風に思うのが恋愛関係なのかもしれません。人にもよるだろうけど

日本社会の中では「我慢は美徳」という風潮がまだまだ存在するので、相手に求めるものや言いにくいことを言わずに我慢するのが当たり前
そういう点では、恋愛関係でも夫婦関係でも友人関係でも共通することのように思う

「我慢は美徳」に逆らい続ける忍耐

親しい間柄での我慢は美徳ではない と、わたしは思う
「言えない、言いにくい」ことを我慢して後回しにすると、良くないことが起こるのですよね。何ヶ月〜数年経つと、お互いの思いを打ち明けなかったことにより関係が修復不可能になったりするんです。

家庭ではパートナーと生活をしているから、きっとある程度我慢もしているけど、「我慢」ではなく「譲れる範囲で相手に合わせている」という生活のほうが結果的に前向きな考え方にいくのだと思います。

家族がいるからおやつを作る
一緒に「美味しいね」ってずっと言えるように

わたしは常に「我慢は美徳」に逆らい続けて生きています
とはいえ世の中には、全く我慢ができない堪え性のない人間もいる
また「我慢している」ことをアピールして自分の不幸具合を美徳と勘違いして相手に押し付ける

そういう人は所詮、我慢していないか、ほんのちょっとの我慢だけして、口ではワーワー言って騒ぐだけの人。結果的には周囲の人の信頼を得られる行為・行動をできないので問題外です。

信頼・尊重というのは人間性を表すものだと思う
信頼できるか?相手を尊重できるか?

それは理屈ではなく、人と人との間柄で成り立つもので、日々の行動が示すものだと感じるからです。

だから、我慢しなくても、無理して色々頑張らなくても、あるべき方向に向かう。それが人間関係なのだと
パートナーに限らず、人と人との関係に「言いにくい」とか「言える雰囲気じゃないから」とか自分が我慢していることを周りや人のせいにする上で成り立つ「我慢は美徳」という風潮に、わたしは真正面から反対し続けていく忍耐を、なぜか持ち合わせているんです。

「我慢は美徳」は勘違いを生む

恋人たちのクリスマスは、ほんのりあったかい気持ちと、一緒に特別な日を過ごせる喜びを実感できる特別な日になる。そういうのが特別なのかもしれません。

一人の人とその気持ちが長続きすることはほとんどなく、別れ別れになり連絡も取らなくなり、気持ちも冷めていく。そういうことを幾度も繰り返し、青春時代は終わっていくのでしょうね

20代くらいまでに、特別な人と特別な関係を繰り返してきた人は「ああ、そんなことあったなあ・・・」と感じるかも知れません。
あんなに特別な存在としていつも一緒にいたのに、徐々に後回しにされる切なさや、自分の精一杯の気持ちを相手にぶつけても相手は受け止めてくれなかった悲しさ。

そういう泣いたり怒ったりの揺れ動く感情は、ある程度若いうちに我慢せずに経験しておいた方が良いと思う。
例えば、若いうちに我慢して感情を相手に伝えられないモヤモヤした気持ち、そういう気持ちを歳を重ねて30代後半〜50代になってもどこかくすぶったものがあり自分の中で常に持ち続けることになり、その期間が長くなるとある日突然、ある程度の年齢になってから爆発したように出てくることが多いから。

イタい性格な人間なわたしは、世間の当たり障りない関係に馴染めません
だから言葉に気を付けなくていい動物(犬)といると癒される

わたしはわたしのままでいい
頑張らなくてもいい、もっと自由でいい
わたしには他の人にはないすごいところがある

そういうことを、いい大人が言い出し、突然、インドに自分探しの旅を始めたり、不倫して離婚して経済的に苦しくても「これがわたし、幸せ」とSNSやブログでアピールするようになる。

周りの人や家族を巻き込み、傷つけた相手のことを考えず、自分のことだけ考えて行動することの何が「幸せ」なのか?
若い頃は、付き合う相手も若く兄弟や親もまだ体力気力があるので、例え自分勝手な行動も傷つく人は最小限ですむのに

わたしはわたしのままでいい
頑張らなくてもいい、もっと自由でいい
わたしには他の人にはないすごいところがある

当たり前だろ!そんなこと

そう、当たり前の自分の人生で1番大事なことをいわゆる青春時代できなかったことを、周りやパートナーのせいにするから後々に自分探ししなければならなくなる
言えなかった、できなかった今までの自分の思考や行動を今更ながらに「今までの自分は自分じゃなかった」と正当化してほめてくれる人とだけ付き合うようになる。

そういう年齢を重ねる女性たちが現代の「我慢は美徳」を実践してきた社会だと思うんですよね

自分らしさを見つけるのであれば

歳を重ねたら、ある程度客観的に自分のことや社会のことを見られるようになると良いなって思う。わたし自身もまだまだだけれど

「恋人たちのクリスマス」を20代くらいまでに何度か経験した方がいいなっていう他に、色んな人と関わり交流し、自分の意見や考えを伝えるのが当たり前になれば「言いにくい、言える雰囲気じゃなかった」という思考はなくなると思う。

今の日本社会の中では、特別な人間というのは社会から外されます。
特別な才能、特別な癖のある考え方、特別に想像力が高い人
そういう特別な人は、社会生活からズレてるし一般の企業や組織からは嫌がられズレてることが悪いかのように扱われるのが現実だと思う

だから、自分探し・自分らしさを見つけようとする女性たちの大半は、そうはなれない。だって、30代後半〜40代とかに自分さがしや自分らしさを探しにいくあたり、それだけですでに普通の人ですから、普通の人は普通であることを認められず耐えられなくなるはず

まあ、本当に社会からズレていたらすでに20代のうちから気付き始めて、とっくに「自分はズレてる」と認識し始めるはずですから、30ー40代とかになって「自分は特別、人とは違う」と目覚める人(正確には目覚めたい人)はすでに、特別な人にはなれず「周りから特別だと思われる自分」を想像して迷っているだけなのだと

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